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3.私の海外生活(フランス・ディジョン編)
2019/08/09

私は学生時代に語学留学でフランスのディジョン市に滞在(1996年10月~1997年2月)していた事があります。忘れた記憶を呼び起こしながら、当時の生活を振り返ってみたいと思います。



3-1.日本での準備
3-2.日本出国、ディジョン到着
3-3.国際学生寮
3-4.フランス語の授業
3-5.ディジョンでの生活
3-6.大聖堂巡り
3-7.帰国
3-8.帰国後の生活
 

3-1.日本での準備



フランスのポー市での短期語学留学(1996年4月~6月)を終えて日本に帰国後、その年の秋からどこに語学留学をしようかと考えていました。そして、留学関連の雑誌などを参考にして、ディジョン市のブルゴーニュ大学付属語学学校に行くことにしました。理由はいくつかあり、①ホームスティではなく学生寮に住める、②授業料や生活費が比較的安い、③パリからそれほど遠くない、などです。
特に住む場所については、ポー市でのホームステイがあまり居心地が良いものではなく、もうホームステイはしたくないと思っていたので、学生寮がある学校に的を絞って検討しました。あと、日本の大学での卒業論文はフランス中世の大聖堂について書こうと思っていましたので、大聖堂が比較的多く存在しているフランス東北部(パリ近郊)の都市の中から選択しました。

ディジョンに決めた後、語学学校の申込は銀行でお金を送金し、申請書を郵送して申込をしました。また、今回は10月~2月中旬(4か月半)の滞在を予定していて、ノービザで滞在できる3か月を超えているため、東京のフランス領事館へ行って留学ビザを申請しました。ビザ申請後、1週間ぐらいしてビザが貼られたパスポートが家に郵送されてきました。
お金は前回同様、銀行でトラベラーズチェックを購入しました。また、航空券は日本の大学の旅行代理店でオープンチケットを購入しました。あと、現地で万が一トラブルにあった場合を想定し、旅行保険にも加入しました。旅行保険では虫歯治療はカバーされないため、事前に歯医者へ行って虫歯がないかのチェックもしてもらいました。
語学力については、ポー市での3か月の滞在で、ある程度会話ができるようになっていましたが、語彙力不足はつくづく感じていたので、日本にいる間に単語量を増やす勉強をしました。

こんな感じで日本での準備をしました。


3-2.日本出国、ディジョン到着



10月になり、いよいよフランスへ出発です。静岡から新幹線で東京まで行き、そこから成田エクスプレスで成田空港へ行きました。その後、エールフランスの直行便で12時間、パリのシャルルドゴール空港に到着しました。
パリに着いて、パリ市内の安いホテルを予約していたのですが、遅い時間に到着したため、オーバーブッキングで部屋がありませんでした。近くの別のホテルを案内され、そこで一泊しました。ホテルのフロントとのやりとりもフランス語で何とかできていたので、特に困ることはなかったです。

翌朝、ホテルを出て、メトロでパリのリヨン駅に行き、ディジョン駅までのTGVのチケットを購入し、TGVに乗り込りました。パリからディジョンまでの1時間半、景色はずっとなだらかな丘陵と畑で、フランスが食料自給率100%を超えている理由がよくわかりました。
ディジョン駅に到着後、学生寮の方が駅まで迎えにきてくれていましたので、車で学生寮まで行き、寮費を払って、部屋を案内され、その日から学生寮に住み始めました。


3-3.国際学生寮



学生寮は1人1部屋で、部屋の設備としては、机、いす、冷蔵庫、クローゼット、ベッド、電話、が付属していて、エアコンはなく、セントラルヒーティングが付いています。掃除は1週1回、掃除のおばさんがしてくれます(勝手に合鍵で入ってきて掃除をしますので、プライバシーは無いです)。電話は、フロントでカードを購入し、電話機にカードを差し込むと外線ができるようになっています。各部屋との内線は無料です。
シャワーとトイレは各階にあり、男女共同でした。また、共同の炊事場で料理をすることもできます。洗濯は地下に共同のコインランドリーがあり、フロントで専用のコインを購入して使用します。また、1階には食堂があり、朝、昼、晩とそこで食事をとることができます。地下の娯楽室でTVを見ることもできます。

学生寮自体は4階の建物で100部屋くらいはあったかと思います。国際学生寮という名前のとおり、様々な国の留学生が住んでいました。ヨーロッパ、北アフリカ、アジア、北米、などから留学生が来ていて、アジアでは、日本、韓国、台湾、ラオス、インド、といった国の人が多かったです。ブルゴーニュ大学付属語学学校は日本の留学雑誌で紹介されている、また、日本の留学エージェントと提携しているため、日本人留学生が多いのは想定していましたが、日本人と同じくらい韓国人留学生が多かったは少し驚きでした。
夕飯後は、食堂に集まって、皆で勉強をしたり、おしゃべりをしたりといったことがよくありました。国際学生寮の良いところはいろいろな国の人とすぐに交流できるということだと思います。当時、私はデンマークの留学生とおしゃべりしたり、いっしょに買い物へ行ったり、たまにご飯を一緒に作ったりしていました。
また、韓国の留学生とも食堂でよく会話をしていました。韓国人と会話するのは初めてだったのですが、彼らは日本の事をいろいろと知っていました。逆に私は韓国の事をほとんど知らない状態で、それをきっかけに韓国にも興味を持ち始めました。

この学生寮の難点としては、ブレーカーがよく落ちることです。数部屋で1つのブレーカーがあるらしく、皆が一気に多くの電気を使用すると簡単にブレーカーが落ちます。そのたびにフロントに行ってブレーカーを上げてもらう必要があります。
また、窓を割って入ってくる泥棒がいたり、酔っぱらって(?)夜中大声を出す留学生がいたり、治安の面ではあまりよくありませんでした。シャワーはお湯が出る時がまちまちで、かつ押しボタン(押すと数秒お湯が出るタイプ)なので何回もボタンを押さなければならず、冬のシャワーは寒くて大変でした。
ベッドの布団は薄く、掛布団は毛布1枚のため、厚着をしないと眠れませんでした。(後で思えば、布団を買えばよかったのですが、そこまで気が回らなかったです。フランスの学生寮は皆こんな感じかと勝手に思っていました)

国際学生寮での生活は良くも悪くもいろいろありましたが、ホームスティでは体験できなかった事を体験することができ、結果的には良かったと思っています。


3-4.フランス語の授業



語学学校の初日にクラス分けの試験がありました。ポー市での生活(3か月間)の成果があったのか、Moyen(中級)のクラスになりました。そして、次の日から中級のクラスを受講したのですが、内容は大学の講義に近く、1人の先生が大勢の学生に対し、フランス語でフランスの文化について説明するといったような感じでした。
当時の私としては、日常会話をもう少し強化したい、フランス語をもっと練習したい、という思いがあり、講義方式の授業はその目的を達成できなさそうに感じたので、1週間くらいした後、クラスをIntermadiare(初中級)に変更しました。

初中級のクラスは1クラス15名程度で、先生2名(どちらも北アフリカ系の方)が交代で授業をしてくれました。教科書はなく、紙のプリントが配られ、時には文法の勉強をしたり、あるテーマで議論したり、会話が多い授業でした。学生の構成としては日本人、韓国人、台湾人、デンマーク人、スウェーデン人、ドイツ人、インド人、などといった感じでした。
授業自体はフランス語による直接教授法の授業で、聞いているだけでも耳が鍛えられます。授業は主に午前中行われ、お昼で終わる日もあれば、午後に授業がある日もあります。議論の授業では、いかに論理的に自分の意見を相手に伝えるかに焦点が置かれるので、スピーキングの訓練になりました。
語学学校は大学の校舎(旧校舎、新校舎)と国際学生寮の教室で行われていました。旧校舎はディジョン市の市街地にある昔風の建物、新校舎は市街地からちょっと離れた場所にあり、国際学生寮は新校舎の近くにありました。ブルゴーニュ大学の学生が通う場所で授業を受けることができ、フランスの学生気分を味わうことができました。食事は大学の食堂を利用したり、近くのファストフード店でとったりしました。

語学学校の授業は総じて満足に値するものだったと思います。


3-5.ディジョンでの生活



ディジョンは、ブルゴーニュ地域の中心都市で歴史も古く、また、ワイン、チーズ、エスカルゴ、マスタードなどの産地で有名です。特にブルゴーニュワインは値段も安く、よく買ってはチーズと一緒に飲んでいました。また、カルフールで自転車を購入し、ディジョンの市街地を自転車で移動したりして、フランスの街並みを楽しみました。
また、パリからTGVで1時間半の距離のため、たまに日帰りでパリに行ったりもしました。ディジョンはパリに遊びに行くにはちょうどよいところだと思います。
ディジョンには10月~2月に行ったのですが、冬は結構寒く、雪が降る日が多かったと思います。そんな日はやはり外にでる気分ではなく、部屋で窓から雪を見ながら、静かにフランス語の自習をするといったことをしていました。

たまに日本食が恋しくなった時は、日本料理店(ただし従業員は中華系の人)に入ってフランス式日本料理を食べたり、ベトナム人が経営する中華系雑貨店で、インスタントの袋麺を箱ごと買って寮で調理して食べたりもしていました。
あと、滞在許可を得るために市役所に独りで行って手続きしたり、BNP(パリ国立銀行)で口座を開設したり、健康診断のために医者に診てもらったり、生活するために必要な各種手続きを独りでフランス語で行うという貴重な機会もこのディジョンでの生活で得ることができ、とても有意義な海外生活だったと思います。


3-6.大聖堂巡り



フランスのゴシック大聖堂を卒業論文のテーマにしようとしていた私は、この留学期間を利用して、いくつか有名な大聖堂を訪れました。シャルトル、アミアン、ランス、パリなどの大聖堂を実際に見て、その荘厳さを肌で感じ、当時の人々がどのような思いで大聖堂とともに暮らしていたのかを想像したりしました。
特にシャルトルは「シャルトルブルー」と言われるほどの美しいステンドグラスで感銘を受けました。また、大聖堂に関する書籍も現地の書店で購入することができ、ゴシック大聖堂に対する知識を深めていきました。こういった大聖堂の地に比較的簡単に訪れることができるという点でディジョンを選択したのは正解だったと思います。


3-7.帰国



10月から始まったディジョンでの留学生活も2月の前期テストで終焉を迎えようとしていました。テストは筆記と面接があり、ポー市での滞在を含め計7か月半のフランス留学の成果を問われましたが、無事にテストは合格しました。その後、後期の授業を勧められましたが、日本の大学の休学期間は3月末までだったし、所持金もあまり残っていなかったため、前期が終わった2月中旬で帰国することにしました。
航空券はオープンチケットだったため、エールフランスの窓口に電話して、帰りのフライトを予約しました。フランス語で問題なく予約することができました。
ディジョンの生活のために購入した自転車や炊飯器などは学生寮の日本人に格安で譲りました。そして来た時と同じスーツケース1個でディジョンを後にし、パリ経由でフランスから日本に無事帰国しました。


3-8.帰国後の生活



日本に帰国後、日本の大学に復学届を出し、元の大学生活に戻りました。卒業に必要な単位を取るため、フランス語会話の授業をとりましたが、とても簡単に思えました。また、力試しにフランス語検定2級を受験しましたが、特に試験勉強をせずに合格することができました。そして、卒業論文を提出し、大学を無事卒業しました。

大学卒業後、フランスとは全く関係ない生活を送り今に至りますが、このフランスでの短期留学は、私にとって、海外の文化や外国語に対する関心のきっかけになっていて、マルチリンガルの形成のもとになっていると思います。フランスを最後に訪れて既に20年以上が経ちますが、また機会があればフランスに行って、新しい時代のフランスを肌で感じたいと思います。そのためにはフランス語のリハビリが必要ですね。。。

 
私の海外生活(フランス・ディジョン編)は以上です。
 


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