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2.私の海外生活(フランス・ポー編)
2019/07/21

私は学生時代に語学留学でフランスのポー市に滞在(1996年4月~6月)していた事があります。忘れた記憶を呼び起こしながら、当時の生活を振り返ってみたいと思います。



2-1.日本での準備
2-2.初めての飛行機、初めての海外
2-3.パリ観光
2-4.ポーに到着、そして、ホームステイ
2-5.フランス語の授業
2-6.ポーでの生活
2-7.帰国
 

2-1.日本での準備



日本の大学でフランス言語文化を専攻していた私は、フランスの文化や言葉を肌で感じたいという気持ちが強くなり、大学3年生の時から留学の準備をし始めました。それまで海外に行ったことがなかった(飛行機にも乗ったことがなかった)ので、まず、パスポートを取得しました。そして、どの学校に留学しようかを調査しました。当時はまだインターネットが今ほど流行っていなく、情報源は主に書籍/雑誌でした。確か、『地球の歩き方』のようなシリーズで留学について取り扱った雑誌があり、その中からフランスの学校を調べました。私が通っていた日本の大学では、交換留学制度がなく、休学して留学する必要があったため、4月始まりの学校を調べたところ、ポー大学附属語学学校がトリメスター制(3学期制)の4月始まりだったため、ポーに決めました。留学エージェントの存在も知らなかったため、自分で入学手続き(授業料を銀行で海外送金し、入学申請資料を郵送)をしました。滞在中の資金については、トラベラーズチェック(今はもう取扱がないと思いますが、紛失した際の保証がある旅行用小切手のことです)を銀行で購入しました。あと、航空券と初日のホテルの手配は大学内の旅行代理店で行いました。留学前にある程度、基本的なフランス語は習得しておく必要があると思っていたので、大学の授業以外でも自習をして、フランス語検定3級に合格した上で留学に臨みました。そして、大学3年生の終わりに休学届けを出して、フランスへ飛び立ちました。
 

2-2.初めての飛行機、初めての海外



成田空港からアエロフロート(ロシア国営航空)のモスクワ経由でパリへ向かいました.初めての飛行機、初めての海外ということで妙に緊張していたような気がします。途中モスクワのトランジットで一回飛行機から出されて数時間待たされ、その後再度搭乗し、日本から10数時間後にパリのシャルルドゴール空港に着きました。空港で荷物を受け取り、両替をして到着ゲートを出て、いよいよフランスです。
留学先のポーはパリから飛行機で1時間くらいの所にある地方都市だったため、パリに到着した日と次の日は空港の近くのホテルに泊まって、パリ観光をする予定でした。シャルルドゴール空港から無料シャトルバスで該当のホテルへ行けるという情報を入手していたので、そのバスに乗ってホテルに向かったのですが、一向にホテルには着くことができず、また同じタ-ミナルに戻ってしまうという行為を2度くらいしてしまい、時間がどんどん過ぎていきます。今思うとタクシーでいけばよかったのですが、当時は貧乏学生でしたし、初めての海外で恥ずかしさも相まって、バスを選んでしまったと思います。結局、空港タ-ミナルで途方に暮れていた私を見ていたフランス人の男性が話しかけてきて、車に乗せてくれて該当のホテルまで連れていってくれました。フランスに着いて初日、フランス人の優しさにふれました。その後無事ホテルでチェックインをし、夕飯を食べようとしましたが、ホテルの周りは空港しかなく、結局ホテルのレストランで食事をすることにしました。しかし、メニューを見ても、どんな料理なのかほとんどわからなかったので、その中で読むことができたハイネケンとフォアグラ(パン付き)を注文しました。当然お腹は満たされず、自分で自分が可哀想になりましたが、疲れ切っていたので、その後はそのままホテルで就寝しました。翌日はいよいよパリ観光です。
 

2-3.パリ観光



翌朝、ホテルから電車に乗ってパリの中心部へ向かいました。真っ先に向かったのはシテ島です。大学で「パリはシテ島から始まった」という事を学んでいたので、とりあえず行ってみたいと思っていました。セーヌ川を渡り、シテ島に到着、お目当てのノートルダム聖堂を見学しました。 荘厳なゴシック様式の外観、そして、中に入ると神秘的なステンドグラス、中世フランスにタイムスリップしたような感覚を覚えました。その後、セーヌ川沿いを散歩。さすが芸術の都パリ、似顔絵師の方々があちらこちらにいて、観光客の似顔絵を描いていました。私もちょっと興味があり、のぞき込んでいたところ、似顔絵師が「無料」といっていたので、それでは記念にと似顔絵を描いてもらいました。カリカチュア風な似顔絵で、あまり似ていなかったですが、無料だからいいかと思って受け取ろうとしたところ、「100フラン」と言われ、口論できる語学力もなく、「まあいいか」と100フランを渡しました。人生の勉強代になりました。
セーヌ川を後にし、メトロに乗ってエッフェル塔を観に行きました。色こそ違いますが東京タワーにとても良く似ています。パリ万博の際にエッフェルの設計で建築されたこの鉄塔、周りの街並みと比べると当時は場違いな建築物だったと思われます。2階の展望台に上ってちょっと街並みを見た後、エッフェル塔を後にし、シャンゼリゼ通りへ行きました。歌にも出てくるシャンゼリゼ通りを歩き、エトワール凱旋門に行きました。凱旋門の上に上り、パリを見渡しました。統一された街の景観、とてもきれいでした。
そんなこんなで、はじめてのパリは「お上りさん」満載の観光でした。空港近くのホテルへ戻り、翌日の移動に向けて早めに就寝をとりました。
 

2-4.ポーに到着、そして、ホームステイ



翌朝、シャルルドゴール空港から留学先のポー空港へ行きました。飛行機は定員50名くらいの小型機で、乗客は少なかったと思います。飛行中、CAの男性からパンを支給されたことを覚えています。大体1時間くらいでポー空港に到着しました。空港ではホームステイ先の奥さんが出迎えてくれました。車で移動中、その奥さんがいろいろと話しかけてくれるのですが、内容がよくわからず、ほとんど会話になりませんでした。そうこうしている内に、ホームステイ先に到着しました。ホームステイ先はポー大学から車で15分程度のマンションで、奥さんとその子供(高校生くらいの男の子)の2人暮らし。マンションには部屋が4つくらいあり、その1室(6畳くらい)を私は間借りしました。ベッドと机、洗面コーナー、クローゼットがあるくらいでとてもシンプルな部屋です。ホームステイ初日はホームステイ先の家族とそのお友達数名が集まって夕食会を開いてくれました。言葉もほとんど通じず、初めてのホームステイで緊張していたこともあり、ぎこちない夕食会でした。
その日から私のホームステイ生活が始まりました。ホームステイというと、ホストファミリーが温かく対応してくれて、いろいろな場所に連れてってくれて、毎日のように言葉を交わして、といったようなことを想像しがちですが、私のホームステイ先は母子家庭(奥さんは毎日会社勤め、子供は高校)で、かつ空いている部屋を外国人に貸して生活の足しにするといったビジネスな考えだったと思います。朝食は台所にパンが置いてあるので勝手に食べるスタイルで、昼食と夕食の提供はないため、いつも外食をしていました。また、シャワーについてはよく怒られました。5分くらいシャワーを浴びていると「なぜそんなに長い時間シャワーを浴びているんだ?」といったようなことを言われました。理由は水道料金が高いかららしいです。洗濯については洗濯機の横のカゴに洗濯物を置いていけば奥さんが洗濯してくれて、乾いた洗濯物を私の部屋に置いてくれていました。あとホームステイ先から学校へは歩いていくと結構な時間がかかるため、自転車を貸してくれました。大体20分くらい自転車に乗って学校へ通っていました。また、土日にどこかに一緒に行くということは一度もありませんでした。
そんなこんなで私のホームステイは、ホストファミリーと会話することもあまり多くなく、ただ、部屋を間借りしているだけのホームステイでした。
 

2-5.フランス語の授業



ポーについた翌日から学校へ行きました。初日にクラス分けテストを受け、私はIntermediate(初中級。下から2番目。)のクラスになりました。1クラスは大体20人くらいで、直接教授法(フランス語でフランス語を教える授業の方法)で授業を行います。しかし、直接教授法での授業が初めてで、かつ、聞き取りや語彙が足りなかったため、1週間くらいで授業についていけなくなり、事務室に行って、クラスを変えてもらいました。
Debutant(初級。一番下。)のクラスは大体10名くらいで、フランス人と結婚したためにフランス語が必要になったヨーロッパ系の人が3名、フィンランドの大学生が1名、あとは様々なバックグランドでフランス語を学びに来た日本人が数名という構成でした。初級クラスは、2名の先生が交代で授業をしてくれました。教科書は特になく、先生が毎回渡してくれる紙のテキストをもとに授業が行われます。先生の話し方はゆっくりで、ロールプレイなどもあり、聞き取りになれていない私にはちょうどよいレベルだったと思います。大体午前中に授業が行われ、お昼で終わる日もあれば、午後に少し授業がある日もありますが、大体1日に4時間くらい授業があり、授業のあとは自習をしたり、クラスメイトと遊んだりなど、比較的リラックスした中での学校生活だったと思います。お昼は学校の学食で食べたり、学校近くにカルフールで食事をとったりしていました。また、休みの日には時々学校主催でエクスカーション(郊外見学会。遠足。)があり、ポー城を見学しに行ったりもしました。ポーでの授業は3か月(4月~6月)だけでしたが、授業の後半はある程度フランス語にも慣れてきて、簡単なことであれば会話が成立していたと思います。
 

2-6.ポーでの生活



ポー市はフランスの南西、ピレネー山脈の近くの小さな都市です。中心街もそれほど大きくなく、いわゆる田舎になると思います。ポーの人々にとって東洋人は珍しいのか、道を歩いていると子供たちによく声をかけられたりしました。遊ぶところもそんなになく、昼間にクラスメイトとカフェや学食でおしゃべりしたり、一緒に映画を見に行ったり、夜にバーへ行ってお酒を飲んだりすることが数少ない楽しみといったところです。買い物と言えば、中心街もしくは大学近くのカルフールで済ませていました。また、ポー市は街中を走るカーレース(モナコグランプリのようなもの)が開催される数少ない都市で、ちょうど留学中にそのカーレースを見ることができ、貴重な体験ができたと思います。お金は少しずつトラベラーズチェックを銀行で換金して使っていました。おかげで「Je voudrais encaisser la cheque de voyage.」という言葉は今でも覚えています。
 

2-7.帰国



ポーでの留学もあっという間に過ぎていき、日本に帰国する日がきました。あまり話さなかったホームステイ先の奥さんにお願いし、ポー市の空港まで車で送ってもらいました。来た時とは違い、車中は奥さんとのフランス語での会話がある程度成立していて、3か月という少ない間でもフランス語の成長を実感できました。その後、奥さんと別れて、搭乗手続きのためにチェックインカウンターへ行ったのですが、そこで問題が発生しました。なんと、ストライキで飛行機が飛ばないのです。カウンターの係員は「パリから日本への便は明日の午後だから、明日の午前の便でポーからパリへ向かえばよい」というようなことを言ったのですが、明日もストライキだったらと考えたら、今日中にパリへいかなければと思い、空港からタクシーでポーの鉄道の駅へ向かいました。ポー駅でパリまでのTGV(フランスの高速鉄道。日本の新幹線に相当。)のチケットを購入し、5時間くらい列車の通路にしゃがみながら、何とかその日の夜にパリへ着き、翌日シャルルドゴール空港から成田空港への便に乗り、無事に日本へ帰ることができました。
3か月という短期留学でしたが、海外生活、学校での授業、外国人との交流など初めてづくしで、21歳の田舎の大学生としてはとても貴重な体験ができたと思います。
 
私の海外生活(フランス・ポー編)は以上です。


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